那智山青岸渡寺(なちざんせいがんとじ)は、和歌山県那智勝浦町にある天台宗の寺院で、山号は那智山。
本堂は国の重要文化財であり、世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の構成資産でもあります。
また6km離れた場所にある、別院の補陀洛山寺も世界遺産の構成資産です。
那智山青岸渡寺は、その美しい景色で知られており、寺院の周辺は自然の美しさを感じられ、三重塔の背後には那智の滝がそびえ立ち、絶景に目を奪われます。
また那智山青岸渡寺は歴史ある寺院であり、その魅力は絶景だけではなく、平安時代の仏像が安置されており、その歴史を感じることができます。
今回、2023年6月、7月に参拝しました那智山青岸渡寺と別院補陀洛山寺を紹介します。
では、お参りしましょう
那智山青岸渡寺
那智山青岸渡寺は熊野那智大社と隣接しているので、連続して参拝できます。
那智山青岸渡寺本堂(如意輪堂)
4世紀ごろインドの僧が開山した那智山青岸渡寺は比叡山延暦寺と同じ天台宗な為、織田信長によって焼き討ちされましたが、1590年(天正18年)に豊臣秀吉の命により豊臣秀長によって再建されました。
再建された那智山青岸渡寺本堂(如意輪堂)は天然木の木肌、風合いをそのまま表現されている素木造りで、修繕で交換された部分もありますが、大黒柱のような大きい柱など、当時の柱が残る本堂です。
本堂内にある鰐口(わにぐち)は、秀吉が寄進したもので、秀吉の願文が刻まれています。
三重塔
1581年焼失し1972年再建された三重塔は、各階に異なる仏の像が安置されており、1F不動明王、2F阿弥陀如来。3飛瀧権現本地千手観音が祀られています。
拝観は有料で、300円です。
三重塔は那智の滝を背に建っており、那智山青岸渡寺からも見事な景色を堪能できます。
境内の天然記念物や重要文化財
和歌山県指定の天然記念物 樹齢約700年のタブノキ
神木として崇められています。
国の重要文化財 宝篋印塔(ほうきょういんとう)
鎌倉時代後期 1322年(元亨2年)造立。
鐘楼
鎌倉時代後期1324年(元亨4年)鋳造。
時報用の鐘の為、自由に鐘をつくことが出来ません。
御朱印
御朱印は4種類あり、筆者は御本尊の御朱印を授与して頂きました。
別院 補陀洛山寺(ふだらくさんじ)
補陀洛山寺(ふだらくさんじ)は、仁徳天皇の時代にインドから熊野の海岸に漂着した裸形上人によって、開山された言われています
場所は那智駅から徒歩5分ほどのところです。
本堂
1808年台風によって破壊され、その後仮本堂が建てられましたが、現在の本堂は1990年(平成2年)11月に再建された本堂です。
様式は室町時代の高床式四方流方形型。
以前は和歌山県御坊市寺院が管理していたそうですが、現在は那智山青岸渡寺が行っており、那智山青岸渡寺の副住職が補陀洛山寺の住職を兼務しています。
本堂内陣には重要文化財「三貌十一面千手千眼観世音菩薩像」が祀られており、御開帳は毎年「1月27日、5月17日、7月10日」となっています。
補陀洛山渡海
1993年(平成5年)に復元された補陀洛山渡海船。
補陀落とはインドの南海上にあるとされた観音菩薩の浄土のことで、 日本でも古来、遥か南海上にこの補陀落浄土があるとされて、そこへ渡海するということが行われていました。
最初の渡海は平安時代、868年(貞観10年)の慶竜(けいりゅう)上人が最初の渡海を行い、以来1722年までの間に25人が渡海したとされます。
渡海船には船室があって、その四方に小さな鳥居が建てられていますが、渡海はお寺の行なので仏教になりますが、鳥居が建てられていることから、現在と違って神仏習合を感じます。
渡海僧は、30日分の食料と灯火のための油を載せて、渡海船に乗りこみ、船室から出られないように扉には外から釘が打ちつけられます。
白綱で繋がれた伴船とで引かれた後、綱を切られ、大海原を漂いいずれ沈んでいったものと思われます。
はっきり言って片道切符の渡海ですが、十六世紀に渡海を試みた日秀上人という人が沖縄に漂着して、熊野信仰を広めたとされます。
那覇市の波上宮は熊野信仰の神社で、御祭神も熊野三所権見(伊弉冉尊(いざなみのみこと)、速玉男尊(はやたまをのみこと)、事解男尊(ことさかをのみこと)です。
なんか奇跡的!!
渡海常任・平維盛・時子供養塔
境内の裏山には、渡海常任・平維盛・時子供養塔があります。
一番左が平維盛、右隣が時子の供養塔です。
伊勢平柿
樹齢800年の古木から接ぎ木された平柿。
接ぎ木の樹齢の数え方は、リセットされるそうで、こちらは樹齢800ではありません。
御朱印
熊野三所大神社
補陀落山寺に隣接している神社は、熊野三所権現を祀ることから、熊野三所大神社と呼ばれています。
また、熊野詣が盛んだったころ「浜の宮王子」とも呼ばれていたことから、浜の宮大神社(はまのみやおおみわやしろ)とも呼ばれます。
熊野詣が盛んだった頃、中辺路・大辺路・伊勢路の分岐点であり、那智山参拝前にはこの王子で潮垢離を行って、身を清めたといわれています。
明治政府の神仏分離前は、隣接する補陀落山寺と一体の神社でした。
境内には推定樹齢800年の見事な大楠があります。
まとめ・感想
っという感じで、那智山青岸渡寺、補陀落山寺、熊野三所大神社をお参りしました。
歴史ある建物や仏像、樹齢何百年ともいわれる大木などを目の当たりすると、自然と心が洗われ、落ち着いていく不思議な感覚が表れてきます。
特に大木を見ていると、生命の力強さを感じましたね。
明治神宮外苑の再開発で、樹齢100年の木々が伐採予定のニュースを見ましたが、都会に大木があるのはとても素晴らしいことだと感じるので、ふと頭にそのニュースが浮かびました。
おわり
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