名取熊野三山を巡拝|本宮・新宮・那智、三社それぞれの立地と見どころ
和歌山県に鎮座し、世界遺産としても知られる 紀伊熊野三山。
筆者はこれまでにその三山を参拝し、熊野信仰の土地性や巡拝の流れを実際に見てきました。

実は宮城県名取市にも、本宮・新宮・那智の三山がそれぞれ勘定された熊野社があります。
それが熊野本宮社、熊野神社(新宮社)、熊野那智神社の三山。
三山全てがそれぞれ勘定されているのは、全国で名取市だけ。
加えて仙台湾を熊野灘、名取川を熊野川、高舘丘陵を熊野連山に見立て、方角や距離感を意識した位置関係で勧請されています。


本記事では、三社それぞれの境内の雰囲気や、高舘山から望む太平洋の眺望などの見どころを紹介します。
熊野本宮社
名取川の近く、そして名取熊野三山の最も北に鎮座する 熊野本宮社。
この位置関係は、和歌山の熊野本宮大社が熊野川のそばに、かつ熊野三山の最北に鎮座している構図と重なります。

参道から境内を望むと、周囲は木々に囲まれ、自然と気持ちが引き締まります。
観光地というより、信仰の場としての空気感が色濃く残る神社ですね。

鳥居をくぐり、一歩境内に足を踏み入れると、外の世界とは切り離されたような静けさ。
凛とした空気が境内全体を包んでいました。
参拝前には手水舎で身を清めます。
ただ、この日は柄杓が置かれていませんでした。
コロナ禍以降、柄杓を廃止したり、水の代わりにアルコール消毒液を設置する神社を、筆者は他でも見かけています。

手水舎から小さな橋を渡ると、正面に樹々に囲まれた本殿が見えてきます。
自然と社殿が一体となった佇まいが印象的でした。

御祭神は、家津御子神(けつみこのかみ)、熊野牟須美大神(くまのむすびのおおかみ/伊弉冉尊〈イザナミノミコト〉の別名)、熊野速玉之男大神(くまのはやたまのおおかみ/伊弉諾尊〈イザナギノミコト〉の別名)の3柱。
熊野信仰の中核をなす神々が祀られています。

和歌山の熊野本宮大社は、洪水によって現在地へ遷座したことで知られています。
名取の熊野本宮社も洪水ではありませんが、遷座の歴史を持つ神社。
当初、熊野本宮社は名取郡長岡三色吉に小祠が建てられ、その後1120年(保安元年)に、現在地から南西約500mの「小館(おだて)」と呼ばれる高台へ遷座されました。
名取川や社前を流れる小川も、和歌山の熊野本宮大社にならった見立てとされており、この一帯が霊地として大切に扱われてきたことがうかがえます。
御朱印は社務所で拝受でき、初穂料は300円。

熊野神社(旧新宮社)
「熊野神社」は、かつて「熊野新宮社」と称されていましたが、明治時代以降に現在の社名へと改められました。

熊野三山は「熊野本宮大社」、「熊野速玉大社」、「熊野那智大社」を指します。
そう考えると、名取ではなぜ「新宮社」から「熊野神社」に改称されたのか、正直なところ不思議に感じました。
境内に設置してある略歴を読んでみると、「当神社は、熊野新宮社、熊野本宮社、熊野那智社合肥し熊野神社と称号し」と記されてあります。
正直なところ、筆者は完全に理解できたわけではありません。
ただ、熊野速玉大社のみを指す「新宮」ではなく、三山全体を勘定する意味合いから「熊野神社」と改称された、と考えるのが自然なのかもしれませんね。

熊野神社は住宅地に隣接しており、鳥居前のすぐ前にも住宅が並びます。

鳥居をくぐると小さな橋があり、その先に本殿。
想像していたよりも、境内は広く感じられました。

橋を渡って参道を進むと、右手に社務所が現れます。

さらに境内を見渡すと、池が広がり、その正面に本殿、右手には神楽舞台。
境内全体がゆったりと配置されている印象です。

まずは手水舎で身を清めます。

御祭神は速玉男尊(はやたまのおのみこと)、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)、事解男尊(ことさかのおのみこと)の3柱。
御祭神が祀られている本殿は拝殿の奥にあり、直接見ることはできません。
本殿は「熊野造り」と呼ばれる建築様式の貴重な建造物として、宮城県指定有形文化財となっています。

拝殿前の池を渡った先には、神楽舞台が設けられています。

この舞台で、春の例祭では「熊野堂神楽」と「熊野堂舞楽」、秋の例祭では「熊野堂神楽」が奉納されます。
熊野堂神楽は名取市指定無形文化財、熊野堂舞楽は宮城県指定無形民俗文化財に指定されています。

1189年(文治5年)、源頼朝が奥州藤原氏討伐の際、武運を祈って熊野神社に参拝したと伝えられています。
そのとき、腰を掛けて戦略を練ったとされるのがこちらの石。
腰掛けてもよいことだったので、筆者も腰を下ろし、今後の戦略を少しだけ思案しましたw

境内には樹齢200年とされる御神木もあります。

御朱印は社務所で頂け、初穂料は300円でした。

熊野那智神社
熊野那智神社は高舘山の山頂に鎮座しています。

駐車場に車を停め、境内に向かいます。
この時点で筆者は、この参道が表参道と思っていましたが、実は違っていました。
それに気づいたときには、すでに参拝を終えていたというわけです。

こちらの参道には通行ルールがあるようで、「男性は左側、女性は右側御通行ください」と掲示されていました。
社務所で尋ねれば理由が分かったのでしょうが、聞きそびれてしまい、理由はわかりません。

名取熊野那智神社では、自然崇拝という事で鳥居がなく神門が設けられています。
横から見ると、張り出した櫓のようもも見えるのが神門。

神門につながる111段の階段。
こちらが正式な表参道になります。

境内まであがると、展望台のように見えますが展望台ではありません。

神門からは、遠く太平洋や仙台湾まで望むことができます。
かなりの標高に感じましたが、高舘山の標高は170メートルほど。
周囲に高い建物がないため、視界が開け、実際以上に高さを感じるようです。

参拝前に、手水舎で身を清めます。

熊野那智神社の御祭神は、第一主神が羽黒飛龍大神(はぐろひりゅうのおおかみ)、第二主神:熊野夫須美大神(くまのむすびのおおかみ)。
熊野那智神社は、719年(養老3年)に羽黒飛龍大権現として創建されました。
1123年(保安4年)名取老女が紀州熊野三社を勧請し、那智の御分霊を合祀。
その後、熊野那智権現と称され、明治以降、現在の熊野那智神社となっています。

境内には御神木が四柱あり、こちらは「山一」。
周辺で一番の巨木のことから「山一(ヤマイチ)」と呼ばれ、親しまれています。

御朱印は社務所で拝受でき、初穂料は300円でした。

名取老女
名取熊野三山の成立を語るうえで欠かせない存在が、名取老女です。
名取老女は、平安時代に実在したと伝えられる女性。
紀州熊野三山への参詣を重ねてきたものの、年を重ねて現地へ赴くことが難しくなり、その信仰を名取の地に勧請した人物とされています。
伝承によれば、名取老女は熊野本宮・新宮・那智の三社を勧請。
一社ではなく、三山を一体として写し取ろうとした点が、名取熊野三山の大きな特徴です。
名取川や高舘山といった土地の要素を、熊野川や那智の山々になぞらえる発想。
三社が独立し、方角や距離感まで意識された配置には、名取老女の熊野信仰への理解が反映されているように感じられます。
まとめ・感想
名取熊野三山を参拝して、自然と和歌山の熊野三山の記憶がよみがえりました。
熊野三山の象徴である八咫烏を久しぶりに目にしたことで、当時の参拝の情景まで思い出したほどです。
今回は車で巡ったため、所要時間は半日もかかりませんでした。
時間に余裕があれば、徒歩でも十分に巡れる距離感だと思います。
とはいえ、筆者は遠慮するかな、というのが正直なところですがw
ひとつ心残りだったのは、熊野那智神社で表参道を通らなかったこと。
気づいた時には参拝を終えており、スケジュールの都合もあって、泣く泣く諦めることになりました。
ただ、実際に三社を巡って強く感じたのは、名取熊野三山は「知ってから行く」ことで、見え方が大きく変わる場所だということです。
単なる熊野三山の写しではなく、土地の地形や川、滝を本場になぞらえ、千年以上にわたって守り続けてきた名取の人々の思い。
その中心には、常に名取老女という一人の女性の、ひたむきな信仰心がありました。
名取という土地に残る熊野信仰の奥行き。
それを、実際に歩き、見て、感じ取ることができた参拝でした。
おわり

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