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世界遺産【平泉 中尊寺】金色堂に込められた奥州藤原氏の願い

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慈覚大師の開山に始まり、奥州藤原氏の時代へとつながる金色堂

岩手県平泉町にある中尊寺は、世界遺産として知られる寺院です。

本堂

本堂や金色堂をはじめ、広い境内に堂宇が点在し、静かな山あいに独特の空気をまとっています。

中尊寺を語るうえで欠かせないのが金色堂。

その存在は、奥州藤原氏の時代と深く結びつき、平泉という土地の歩みを今に伝えています。

2025年12月初旬、筆者は13年ぶりに中尊寺を再訪。

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かつて訪れたときとは異なる視点で歩くことで、建物の配置や距離感、境内全体の印象にも変化を感じます。

本記事では、実際の参拝の流れに沿って中尊寺の境内を紹介しながら、金色堂がこの寺院の中でどのような位置にあるのかを見ていきます。

記事の内容は、2025年12月初旬に参拝した当時の情報です。

目次

中尊寺概要

天台宗東北大本山の 中尊寺 は、850年(嘉祥3年)、比叡山延暦寺の第3代天台座主である 慈覚大師円仁 によって開山

12世紀初頭、奥州藤原氏初代・藤原清衡は、前九年・後三年の役で失われた命を敵味方の区別なく平等に供養するため、仏国土の建設を志し、大伽藍の造営を進めました。

境内には本堂や金色堂のほか、阿弥陀堂、薬師堂、弁財天堂、地蔵堂、大日堂など多くの堂宇が点在しており、参道や坂道を含めた広い範囲に伽藍が広がっています。

中尊寺 境内マップ

中尊寺を含む平泉の寺院や遺跡は、2011年「平泉 ─仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群─」
として世界遺産に登録されました。

構成資産は、中尊寺、毛越寺、観自在王院跡、無量光院跡、金鶏山 の五か所。

平安時代、この地に築かれた信仰と景観のまとまりが評価されたものです。

そして14世紀には、中尊寺の堂塔の多くを焼失。

それでも金色堂をはじめ、多くの国宝・重要文化財が伝えられ、平安仏教美術を今に伝えています。

なお2024年5月には、天台宗の総本山である 比叡山延暦寺 も参拝しています。

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月見坂

標高約130メートルの丘陵地に位置する中尊寺。

月見坂は、その表参道として本堂や金色堂へと続く坂道です。

月見坂

参道の両脇には、江戸時代に伊達藩によって植えられたとされる杉並木が続きます。

樹齢300年を超える杉が立ち並び、歩き始めから境内らしい空気を感じます。

樹齢300年を超える杉

中尊寺には、本堂や金色堂以外にも多くの堂宇が点在しています。

月見坂を上る途中にも、いくつかの堂宇が姿を見せます。

こちらは弁慶堂。

弁慶堂
弁慶堂由緒

各堂宇には社務所が設けられており、御朱印をいただける場合もあります。

ただし、平日だったためか、この日はすべての堂宇で社務所が開いているわけではありませんでした。

この日の弁慶堂の社務所も閉まっていました。

本堂

月見坂を上っていくと、右手に中尊寺本堂が現れます。

筆者が参拝した日は、本堂前にある「本坊表門」が解体工事中で、周辺は通行止めになっていました。

本堂正面の階段

筆者が前回参拝したのは2013年10月。

当時はまったく気づきませんでしたが、2008年の岩手・宮城内陸地震や2011年の東日本大震災の影響により、本坊表門の柱が傾いていたそうです。

このまま放置すると修復が困難になる可能性があることから、2025年2月より解体作業が始まり、2026年6月に新しい門が竣工する予定とのこと。

本坊表門は約400年の歴史を持つ門で、修復にあたっては江戸時代の金具などを活かし、歴史的価値を損なわない形で進められるそうです。

2013年10月本堂前の「本坊表門」

現在の本堂は、1909年(明治42年)に再建された建物。

1958年(昭和33年)に東北大本山の号を許されたことを記念して、本尊の両脇に置かれた灯籠には、宗祖・伝教大師最澄が約1200年前に灯したとされる「不滅の法灯」を分灯され、護持されています。

本堂の御朱印は梵字で記されており、ご本尊の釈迦如来を表すもの。

読み方は「バク」。

初穂料は300円でした。

本堂 御朱印

讃衡蔵

本堂から金色堂へ向かう途中にある讃衡蔵は、中尊寺 に伝わる国宝や重要文化財を収蔵・展示する宝物館です。

2000年に新築された施設で、館内には3,000点以上の貴重な文化財が収められています。

讃衡蔵

讃衡蔵は、金色堂と共通券で拝観できる有料施設。

奥州藤原氏は、初代清衡、二代基衡、三代秀衡と、いずれの名にも「衡」の字が含まれています。

讃衡蔵という名称は、その偉業を讃える意味から名付けられたものです。

拝観料

館内は撮影禁止でしたが、国宝や重要文化財が数多く展示され、見ごたえのある内容でした。

なかでも印象に残ったのが、国の重要文化財に指定されている三体の丈六仏(じょうろくぶつ)です。

左から、薬師如来(もとは閼伽堂の本尊)、阿弥陀如来(もとは本堂の本尊)、薬師如来(もとは峯薬師堂の本尊)

鎮座する3体の前に立つと、自然と背筋が伸びるのを感じます。

丈六仏(じょうろくぶつ)
画像引用元:中尊寺公式サイト

金箔の質感は、まるで仏様が内側から光を発しているかのような不思議な温かみがを感じます。

撮影できないからこそ、その圧倒的な存在感をしっかりと目に焼き付けようと、気づけば長い時間、足を止めて見入ってしまいましたね。

讃衡蔵でも御朱印を頂け、御朱印には丈六仏(じょうろくぶつ)と記されています。

初穂料は300円です。

讃衡蔵 御朱印

現在の本堂のご本尊である阿弥陀如来像は、藤原清衡の供養願文に「丈六皆金釈迦」を安置したと記されていることから、新たに造立され、2013年(平成25年)3月24日に開眼供養が行われました。

金色堂

金色堂

讃衡蔵を出て少し進むと、金色堂の覆堂が見えてきます。

覆堂

堂内は撮影禁止となっています。

金色堂は、奥州藤原氏初代・藤原清衡によって1124年に建立された仏堂。

堂内は極楽浄土を表現するかのように、内外ともに金箔で覆われています。

金色堂
引用元:中尊寺公式サイト

金色堂のご本尊は阿弥陀如来。

阿弥陀如来の世界は「極楽浄土」とされ、金色堂は仏堂全体でその世界を表しています。

阿弥陀如来
引用元:中尊寺公式サイト

金色堂にが清衡・基衡・秀衡、そして秀衡の子・泰衡の遺体が納められており、金色堂が供養の場として造られたことをうかがいます。

ここまで境内を歩き、堂宇を巡ったうえで金色堂に立つと、この仏堂が単なる豪華な建築ではなく、前九年・後三年の役で失われた命を平等に弔い、再び争いを繰り返さないという奥州藤原氏の願いを形にした場であることが、自然と腑に落ちました。

堂内で金色堂と記された御朱印も頂け、初穂料は300円です。

金色堂 御朱印

参拝者が多い場所ではありますが、覆堂の中に入ると、不思議と静けさが保たれています。

歩いてきた時間と距離も含めて、金色堂という場所が用意されている——そんな印象を受けました。

旧金色堂覆堂

金色堂のすぐそばには、旧金色堂覆堂が保存されています。

鎌倉時代、幕府は1288年(正応元年)に金色堂の修理を行い、その際に覆堂(おおいどう)を設けたとされています。

この旧覆堂は、現在、国の重要文化財に指定されています。

旧覆堂

金色堂が建立されたのは1124年。

長らく「約60年以上にわたり、金箔のまま野ざらしだった」と考えられてきたことに、筆者は正直驚きました。

ただし近年の調査では、金色堂建立からおよそ50年後には簡素な覆屋根が設けられ、その後の増改築を経て、室町時代中期に現在知られる旧覆堂の姿になったとみなされています。

現在の覆堂は1963年(昭和38年)に新たに建築されたもので、それに伴い、旧覆堂は現在の位置へと移築されました。

まとめ・感想

前回はバスでしたが、今回は車で訪れたました。

利用した駐車場は表参道に一番近い第一駐車場。

利用料金は400円でした。

駐車場で車を降りてから、戻るまでの所要時間は約2時間30分。

ソロ活の筆者の場合は、自分のペースでゆっくりじっくりと境内の散策・参拝する為、時間はかかっている方だと言えます。

そして中尊寺の境内を実際に歩くことで、金色堂が単独で存在しているのではなく、長い時間をかけて守られてきた場であることを実感しました。

前九年・後三年の役で失われた命を平等に供養し、争いを繰り返さないという奥州藤原氏の願い。

その思いは、金色堂という仏堂だけでなく、伽藍全体の配置や、その後の修理・覆堂の設置といった営みの中にも、確かに受け継がれているように感じます。

13年ぶりに再訪した中尊寺は、当時とは見え方が変わっていました。

建物そのもの以上に、「なぜこの場所が、こうして残されてきたのか」という背景に目が向くようになったからかもしれません。

静かな境内を歩き、最後に金色堂の前に立ったとき、ここが単なる観光地ではなく、人の願いと祈りが積み重ねられてきた場所であることを、改めて強く意識しました。

おわり

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