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白河【小峰城】城下から南湖、白河関へと続く歴史の足跡を見てきた

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みちのくの玄関口として知られる福島県白河市。

平安の昔から歌枕として詠まれてきた白河関の静寂、戦国から江戸・幕末へと激動の時代を駆け抜けてきた小峰城、そして身分を越えた「士民共楽」の願いが込められた南湖。

そうした時代の記憶を今に伝える史跡、「白河関跡」、「小峰城、」、「南湖公園」といった場所が点在する城下町白河は、東北地方の中でも地理的・歴史的に重要な役割を担っていました。

今回は、2026年1月下旬に訪れたこれら3ヶ所の歴史的重要な史跡を紹介します。

記事の内容は当時の情報のため、現在とは異なる場合があります。

目次

小峰城跡 国指定史跡

小峰城の歴史

小峰城は、白河藩十万石の居城として、初代白河藩主・丹羽長重が1629年(寛永4年)から約4年の歳月をかけて大改修し、三重櫓を天守とする近世城郭となりました。

1868年(慶応4年・戊辰戦争)に焼失しましたが、1991年(平成3年)に復元され、現在は国指定史跡となっています。

日本100名城の一つにも選定されています。

小峰城 三重櫓

小峰城のはじまり

下総結城家から分かれて白河に移り住んだ白河結城氏が、鎌倉時代から約400年にわたり白河を支配しました。

1340〜1369年頃、結城親朝によって小峰ヶ岡に城が築かれたことが、小峰城の始まりとされています。

結城氏は豊臣秀吉の奥州平定によって改易され、白河は会津領の一部となり、小峰城はその支城となりました。

白河藩主(小峰城)会津藩主(鶴ヶ城)
芦名家(1384~1589)
伊達政宗(1589~1590)
蒲生氏郷(1590~1598)
上杉景勝(1598~1601)
蒲生家(1601〜1627)
1627~丹羽家加藤家(1627〜1643)
1643~榊原家保科家・松平家(1643~)
1649~本田家
1681〜奥平松平家
1692〜結城松平家
1741〜久松松平家
1823〜阿部家

1627年(寛永4年)、丹羽長重が棚倉藩から白河藩として入封。

その後、寛政の改革で知られる松平定信をはじめ、7家21代の大名が居城としていますが、1866年(慶応2年)、阿部氏が棚倉藩へ移封されてからは、白河は幕府領となりました。

幕命による大改修

小峰城は、南北朝時代に結城親朝によって築かれ、江戸時代の初代藩主丹羽長重によって、石垣を多用とした近世城郭に大改修されました。

小峰城

大改修以前の石垣も一部に残り、石垣の形状や積み方の違いから、その変遷を確認することができます。

石垣の案内板
小峰城で最古の石垣

広島との歴史的な接点

筆者の地元・広島県の城や武士と白河城には、歴史的な接点があります。

関ヶ原の戦い後、安芸・備後の領主となった福島正則は、1619年(元和5年)、幕府の許可を得ずに広島城の石垣を修理したとして改易されました。

その際の家老の一人が、後に白河藩で召し抱えられたと伝えられています。

また白河は奥羽の入口としての押さえとして、1629年(寛永4年)から幕命による小峰城の大改修が始まりました。

それに先立つ1622年(元和8年)、幕命によって築城されたのが広島県の福山城です。

外様大名が並ぶ西国を押さえるため、徳川家康の従兄弟にあたる水野勝成が備後十万石に入封し、福山城を築いた背景があります。

福山市公式サイトより
福山城

筆者が白河城に惹かれたのは、こうした歴史的な重なりがあるからかもしれませんね。

江戸時代の姿を「木造」で復元

1991年(平成3年)に復元された小峰城は木造の三層三階の三重櫓

復元城郭の多くが鉄筋コンクリート造であるなか、小峰城では江戸時代の絵図をもとに木造で復元が行われました。

小峰城

建築基準法の関係から建築物ではなく工作物として扱われていますが、内部は無料で見学することができます。

小峰城内部 2階

小峰城は江戸時代の絵図などをもとに復元し、梁にも当時の工法チョウナ(手斧)を使った仕上げが用いられています。

チョウナ仕上げの梁

復元に使用された木材には、戊辰戦争の激戦地・稲荷山の大杉が含まれており、弾痕が残る材も確認できます。

戊辰戦争時の弾痕

石垣に刻まれた「再生」の足跡

2011年(平成23年)の東日本大震災では、石垣が10か所にわたり崩落する被害を受けました。

修復は江戸時代の伝統工法をもとに行われ、2019年(平成31年)に完了しています。

石垣復旧説明板
石垣

現在目にしている石垣は、江戸時代の技術と現代の修復技術が重なった成果と言えるでしょう。

お土産処 二ノ丸茶屋

二の丸茶屋 外観

白河市の特産品と飲食もできる二の丸茶屋。

屋外のメニュー看板ではドリンクと甘味がメインですが、店内に入るとロースカツカレーなどフードメニューの案内もあります。

メニューの看板

白河だるまバーガーのメニューをみると、けっこうなボリューム感なのに500円(税込)となかなかコスパがいいのでは。

ランチ後でなければ、完全にいただいてましたね。

白河だるまバーガー

二の丸茶屋で買い物をすると、小峰城歴史館の入場割引券50円が貰えます

筆者は何も知らずペットボトルのお茶を購入したのですが、それでも割引券を頂きました。

小峰城歴史館

2019年4月にオープンした小峰城歴史館。

観覧料300円ですが、筆者は二ノ丸茶屋で頂いた50円割引券を利用して入館しました。

小峰城歴史館 外観

館内は小さいながらも貴重な展示物が並び、じっくり拝観した筆者は1時間30分程度かかりました。

館内

白河藩と会津藩との深い関係があり、鶴ヶ城の後に小峰城を訪れたことで、展示物の内容が良く理解できましたね。

ナイトアップ

毎日なのか期間限定なのかは未確認ですが、2026年1月現在ナイトアップされています。

ナイトアップされた小峰城

南湖 国指定史跡

南湖公園

国指定史跡である南湖公園は、日本最古の公園と言われています。

南湖は、白河藩主・松平定信により、身分の分け隔てなく誰もが平和の世に美しい風景を楽しむことができる「士民共楽」と「太平無事」理念のもとに、1801年(享和元年)に築造されました。

南湖公園

南湖は1周2km。

散歩やジョギングにちょうどよく、周遊する人の姿も見かけました。

また松平定信が景勝地として定めた南湖十七景があり、美しい景色も楽しめます。

南湖周遊道

南湖は行楽だけでなく、湖水が用水や水練、操船訓練などにも利用されてきました。

造成工事には、領民救済事業としての性格もあったとされています。

現在も田んぼの用水として利用されています。

1月1日の南湖

1月には南湖の水抜きが行われ、清掃が進められます。

1月21日水抜き中の南湖

1月1日に比べ、1月21日は湖水が大きく減っていました。

南湖神社

南湖神社は松平定信を御祭神として祀る神社。

大正11年(1922年)に創建された比較的新しい神社です。

南湖神社 鳥居

2024年(令和6年)7月から1万円札の肖像に採用された渋沢栄一は、松平定信を敬愛していたことで知られています。

渋沢栄一は南湖神社の創建にあたり、多額の寄付を行うなど多大な支援を行いました。

南湖神社 拝殿

南湖神社は、白河市で初詣に多くの参拝客が訪れる神社の一つです。

筆者も2026年の元旦に初詣で南湖神社を参拝しました。

南湖神社 御朱印

久松松平家は徳川家の譜代大名家であり、家紋として「三つ葉葵」を用いています。

また久松松平家の遠祖は菅原道真とされ、「星梅鉢」も家紋として伝えられてきました。

星梅鉢は菅原道真を祀る北野天満宮の御神紋として広く知られ、多くの名門武家にも用いられた紋章です。

正月限定の御朱印に並んだ二つの紋を前にすると、南湖神社が持つ背景の厚みが、自然と伝わってきます。

南湖だんご

南湖公園の名物南湖だんごは、白河藩主の松平定信が南湖公園を築造した際に職人たちに振る舞ったのが始まりとされています。

現在、南湖公園の湖畔には複数のお店があり、お土産としても人気です。

南湖公園マップ

通常串に3個ほど刺して食べるだんごですが、南湖だんごは爪楊枝で食べるスタイルです。

それは「みんなに平等に食べてもらいたい」と言う松平定信の思いからだそうです。

つまり今で言うシェアということですね。

爪楊枝で食べる南湖だんご

お店をまわってみると、南湖だんごを南湖だんボと記されている暖簾をみます。

南湖だんボと記されている暖簾

だんボと書いてだんごと読み、昔の文字でごをボと書くそうです。

白河関跡 国指定史跡

みちのくの玄関口「白河関」は奥州三古関の一つに数えられています。

白河関は、奈良時代から平安時代頃にかけて、陸奥国と下野国の国境に設けられた関でした。

しかし、10世紀に入ると律令制の衰退とともに、関としての機能は次第に失われていきました。

白河関跡入口

機能不全となった白河関の場所は長らく不明とされていました。

その後、白河藩主・松平定信が、絵画や記録、伝承をもとに考証を行い、1800年(寛政12年)、現在地を白河関跡と断定します。

この地には、その証として「古関跡」の碑が建てられました。

古閑蹟の碑

白河関は、西行法師や一遍上人など、多くの偉人がゆかりの和歌や句を残した場所としても知られています。

なかでもよく知られているのが、『奥の細道』で白河関を越えた松尾芭蕉でしょう。

松尾芭蕉と弟子の曽良の銅像

松尾芭蕉は、「風流の 初やおくの 田植えうた」という句を詠んでいます。

この景色を前にすると、芭蕉も同じ風景を目にしていたのではないかと想像が膨らみます。

白河関跡から見える田んぼ

ただ、芭蕉が弟子の曽良とともに白河関を訪れたのは、1689年(元禄2年)4月下旬のことです。

現在の暦では6月上旬頃にあたり、松平定信が白河関跡を断定するよりも、100年以上前になります。

二人が句を詠んだ場所が「この白河関跡」なのか、それとも別の場所なのかは、実際に立ってみると、なおさら気になるところでした。

白河関跡には、白河神社が鎮座しています。

白河神社鳥居

白河神社の歴史は古く、135年、成務天皇の勅命により、「白河国造命」と「天太玉命」を奉祀して創建されたと伝えられています。

また、1615年(元和元年)には、伊達政宗が社殿を改築奉納したとされ、本殿の棟紋には伊達家の九曜星と縦三引きの紋が刻まれています。

白河神社本殿

白河神社の御朱印は、白河関跡入口そばの社務所でいただくことができます。

ただし、冬季の平日は社務所が閉まっているため、注意が必要です。

白河神社 社務所
冬季平日休みの案内

御朱印は書き置きでの対応となり、日付は空欄のため、自分で記入する形式でした。

初穂料300円は、社務所前のお賽銭箱に納めます。

御朱印が書置きされている

御朱印は「白河関」と「白河神社」の2種類があります。

白河関 御朱印

こちらの御朱印には、伊達家の九曜紋が記されています。

白河神社 御朱印

まとめ・感想

今回は、小峰城、南湖公園、白河関跡の三ヶ所を巡りました。

三ヶ所はいずれも国指定史跡であり、実際に歩いてみると、資料や写真で見るのとは違う重みがあることを実感します。

城、公園、関跡と性格の異なる史跡ですが、いずれにも深く関わっているのが 松平定信 です。

小峰城の整備、南湖に込められた「士民共楽」の思想、そして白河関跡の比定と保存。

一人の藩主が残した足跡が、これほど異なるかたちで現在に残っている点は、現地を巡ってこそ見えてきました。

定信は、祖父である八代将軍・徳川吉宗の改革思想の影響を受けながらも、白河藩主として独自の施策を進めています。

特に南湖に表れた「士民共楽」の考え方は、城や関跡とは違う角度から、定信という人物像を浮かび上がらせていました。

2025年(令和7年)のNHK大河ドラマ べらぼう では、松平定信は幕府老中として描かれます。

寛政の改革については評価の分かれる部分もありますが、後の時代に与えた影響の大きさは否定できません。

その思想が、のちに「日本資本主義の父」と呼ばれる 渋沢栄一 が定信を敬愛する理由の一つになっている点も、今回の史跡巡りを通して腑に落ちました。

小峰城と白河関跡は同日に、南湖公園は別日に訪れましたが、動線を考えれば一日で三ヶ所を巡ることも可能です。

三ヶ所とも距離的に無理がなく、移動を含めても各史跡を落ち着いて巡ることがお勧めですね

おわり

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