会津若松・飯盛山に残る白虎隊ゆかりの史跡
会津若松市にある飯盛山は、戊辰戦争において白虎隊が自刃した地として知られ、周辺には当時に関わる史跡が点在しています。

筆者にとって飯盛山は、史料や写真でその名を知ってはいたものの、現地の位置関係は一度確かめておきたい場所のひとつでした。
1986年に日本テレビ系列で放送された年末時代劇スペシャル『白虎隊』や2013年放送のNHK大河ドラマ『八重の桜』などの放送を観てきたことから、白虎隊には馴染みがありますね。
本記事では、白虎隊が出陣を命ぜられた旧瀧澤本陣を起点に、飯盛山周辺に残る史跡を中心にまとめています。
記事の内容は2025年12月初旬に訪れた当時の情報のため、現在とは異なる場合があります。
旧瀧澤本陣(横山家住宅)
旧瀧澤本陣は、1678年(延宝6年)、瀧澤組郷頭を務めた横山家の住宅として建築されました。
その後、歴代会津藩主が参勤交代や、藩祖・保科正之を祀る土津神社参詣の際の休憩所として利用。
戊辰戦争では、藩主・松平容保の出陣に伴い本陣となり、白虎隊もここで出陣を命ぜられた場所として知られています。

飯盛山で白虎隊が自刃した地を訪れる前に、出陣の命を受けた場所から歩き始めたいと考え、筆者も瀧澤本陣を最初に訪れました。

現在の旧瀧澤本陣は、国指定史跡・国指定重要文化財。
戊辰戦争後も、1881年(明治14年)有栖川熾仁親王、1972年(昭和47年)三笠宮崇仁親王、1978年(昭和53年)秩父宮勢津子妃殿下が御小休された記録が残されています。

建物内部には、江戸時代の暮らしを伝える空間がそのまま残されています。




柱には、戊辰戦争当時の弾痕や刀傷。


大名や皇族が利用した建物だけあり、室内から望む庭も見事です。

館内には古い書物や書き物も多く保管されており、なかには天保3年の日付が記されたものも確認できます。
筆者には、古文書と呼べる内容に見えましたね。

瀧澤本陣の入館料は400円(税込)

地元の方の話によると、旧瀧澤本陣は現在も横山家の所有。
維持管理は大きな負担となっており、数年前には大規模な改修も行われたそうです。
無人での入館対応も、人件費を含めた維持費を考えると現実的な判断に筆者は思えます。
以前、徳川慶喜の玄孫の方による「家じまい」のニュースを目にしたことがあり、歴史的建築物を個人が守り続ける難しさを感じました。
また朝日新聞の記事で、その方が会津藩主・松平容保の玄孫でもあると知り、驚きましたね。

歴史的に重要な建築物を、個人の努力に委ねている現在の在り方には、考えさせられるものがあります。
それでも、入館料を支払い、この場所を実際に訪れることが、いま出来る一つの関わり方ですね。
飯盛山
飯盛山観光には、無料で利用できる市営観光専用駐車場が便利です。
駐車場から飯盛山入口までは、徒歩で3分ほど。


飯盛山を登るルートのひとつが、入口正面の階段を上がるルート。

この階段を回避する方法として、料金250円の「動く坂道」と呼ばれるスロープコンベアも設けられています。

今回筆者は、階段を使うルートではなく、飯盛山案内図に記載されている「らくな参拝順路」を選択しました。

最初に旧瀧澤本陣を訪れ、その後、白虎隊引上げ洞門、白虎隊自刃の地へと進む流れを意識し、白虎隊が通ったかもしれない道順を歩きたかったから。
当時は現在のような階段はなかった可能性もありますが、同じ方向へ足を運ぶことで、白虎隊の行動を想像しやすくなりますね。
白虎隊引上げ洞門
白虎隊引上げ洞門へは、「奥州會津飯盛山本参道」から向かいました。

この参道には鳥居があり、扁額には「厳島神社」と記されています。
参道の正面には赤い鳥居が立ち、その奥に拝所。
厳島神社の創建は、南北朝時代の1381年から1383年(永徳・弘和年間)と伝えられています。

広島が地元の筆者としては、「厳島神社」という名に、やはり少し親近感を覚えますね。
厳島神社を参拝したあと、「白虎隊引上げ洞門」へ向かいました。
戊辰戦争の際、白虎隊が戦地から退却する際に、この洞門をくぐってきたと伝えられています。

当初、白虎隊は城の警護を目的とした予備隊でした。
地元の方の話によると、白虎隊員たちは出陣を強く嘆願していたものの、藩主・松平容保はなかなか許可を出さなかったそうです。
ようやく出陣を命じられ、当初の目的の十六橋を破壊しに向かうも、すでに新政府軍に突破されており、戸ノ口原の戦いへ。
そこで敗戦し退却を余儀なくされ飯盛山へ戻るも、見えるのは炎上する鶴ヶ城下。
玉砕か帰城かを巡って激論の末、最終的に自刃へとつながる悲劇を招きました。
この洞門を流れる戸ノ口用水は、現在も会津若松市の生活を支えています。
さざえ堂・宇賀神堂
白虎隊引上げ洞門を後にし、階段を上ると正面にさざえ堂が見えてきます。

さざえ堂は、1796年(寛政8年)に建立された六角三層、高さ約16メートルのお堂で、国の重要文化財に指定されています。
入館料は400円で、堂内を拝観することができます。

堂内は二重螺旋構造になっており、上りは右回り、下りは左回り。
参拝者がすれ違わない一方通行の構造です。
木造建築としては非常に珍しく、世界的にも例のない構造として知られています。
また、上り下りを通して堂内を三度巡ることから、正式名称は「円通三匝堂(えんつうさんそうどう)」とされています。



堂内最上部からは、すぐそばに建つ宇賀神堂の姿が見えます。

宇賀神堂には、自刃した白虎隊士十九人の霊像が安置されています。

堂内には、白虎隊士自刃の場面を描いた図や、軍服姿の隊士像が置かれています。

宇賀神堂のお守りや御朱印は、そばにある山主飯盛本店で授与されています。


山主飯盛本店にはカフェも併設されており、飯盛山の景観を眺めながら休憩することもできます。

自刃白虎隊十九士の墓
さざえ堂・宇賀神堂を過ぎ、参道を進むと自刃白虎隊十九士の墓があります。
ここは、白虎隊士十九人を慰霊するために整えられた墓所。

墓地では線香が販売されていたため、購入しました。
白虎隊士をはじめ、戊辰戦争で命を落とした方々の冥福を祈りました。

墓前は静かで、飯盛山の中でも落ち着いた空気が流れていました。
白虎隊自刃の地
自刃白虎隊十九士の墓から少し進むと、白虎隊自刃の地に至ります。
ここは、白虎隊士が実際に自刃した場所として伝えられている地点。

飯盛山へ戻った白虎隊士の目に映ったのは、炎上する鶴ヶ城下でした。
玉砕か帰城かを巡って激論の末、最終的に自刃へとつながる悲劇を招いたとされています。

墓所とは異なり、出来事そのものが残された場所として、筆者は静かに向き合いました。
まとめ・感想
旧瀧澤本陣から飯盛山へ向かい、引上げ洞門、さざえ堂・宇賀神堂、十九士の墓、そして白虎隊自刃の地までを歩きました。
筆者は戊辰戦争や白虎隊について、学校の授業やテレビドラマで触れた程度の知識でした。
従って地元の方から白虎隊を中心に話を聞かせてもらった時間が、いちばん有意義でしたね。
戊辰戦争後、会津藩は新政府側から「賊軍」「朝敵」といった汚名を着せられた歴史があり、会津の人々の中にはその歴史的な痛みが今なお残っていると筆者は感じます。
今回、白虎隊の史跡を順に歩くことで、出来事を知識として理解するだけでなく、その後の会津が背負ってきた時間の長さにも思いが及びました。
飯盛山は、白虎隊の最期を伝える場所であると同時に、筆者にとって会津の人々が歩んできた歴史を静かに考える場所となりました。
おわり

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