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肉じゃが発祥の地【広島・呉】【京都・舞鶴】食べ比べ

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家庭料理の代表格の一つ「肉じゃが」。

東郷平八郎がイギリス留学中に際に食べたビーフシチューの味にいたく感動し、作るよう指示した内容が「牛肉とジャガイモと人参が入ってる」かつデミグラスソースがないので、砂糖や醤油を代用した結果「肉じゃが」の誕生。

日露戦争日本海海戦でバルチック艦隊に勝利した「東郷平八郎」が指示したビーフシチューが結果として肉じゃがを生んだエピソードが有名ですよね。

このエピソードが事実かどうかは別として、このエピソードで肉じゃが発祥の地が2ヶ所存在しています。

それは広島県呉市と京都府舞鶴市です。

目次

肉じゃが発祥の地が2つある理由

広島県呉市、兵庫県舞鶴市ともに戦前の日本海軍、戦後海上自衛隊や海上保安庁が鎮座する都市。

呉市は戦艦大和建造、映画・ドラマ「この世界の片隅に」や「海猿」の舞台、「男たちの大和」のロケ地として知られています。

一方舞鶴市も「男たちの大和」、「海賊とよばれた男」のロケ地となっています。

何となく似た両市なので、どうしても肉じゃがも似た状況となっています。

1995年(平成7年)京都府舞鶴市が観光客誘致の一つとして、「東郷平八郎が部下に命じて肉じゃがが誕生」と肉じゃが発祥地をアピールし始めました。

舞鶴には肉じゃがのレシピが残っていることも「肉じゃが発祥の地」として後押ししています。

一方呉市は、東郷平八郎が舞鶴よりも先に呉に赴任していたことと、舞鶴の肉じゃがのは現代風なアレンジが加えられていることから、呉の方が肉じゃがの方が早く誕生し、発祥の地であると主張しています。

呉市「田舎洋食 いせ屋」大正10年創業の老舗店

外観・店内

筆者が「田舎洋食 いせ屋」に訪れたのは2022年5月。

呉市で肉じゃがと言えば、大正10年創業の老舗店「田舎洋食 いせ屋」

1921年(大正10年)創業の「いせ屋」の創業者と2代目は海軍で調理人をされていたそうで、創業者は「浅間」という船の元コック長とのこと。

ホウボウ

このエピソードだけで、呉市が肉じゃが発祥の地と思えるよ

海軍館内適正栄養摂取の為、海軍厨業管理教科書があり、その中の「甘煮」と言う料理が「肉じゃが」のルーツになったとされています。

店内はテーブル席が3つと座敷が一つの約14人ほどのお店です。

店内には海軍厨業管理教科書のコピーがあり、甘煮と言うメニューがあることが分かります。

菊正宗初期のポスター。

ホウボウ

かなりの価値があるやろうなぁ

海軍さんの肉じゃが 495円(税込)

肉じゃが定食と言うものはなく、肉じゃがは単品となります。

表面には肉じゃがの記載がないので「?」となりますが、裏面に写真付きでありますw

ホウボウ

実食

海軍厨業管理教科書「甘煮」を忠実に再現していると言われている肉じゃが。


「甘煮」は水を使用していないので、いせ屋の肉じゃがも水を使用しておらず、水分は食材から出る水分のみ。

パッと見、汁気が全くない肉じゃがは珍しい。

基本的な部分は海軍厨業管理教科書通りですが、教科書には材料と手順のみなので、それ以外の部分はいせ屋風にアレンジされているそうです。

甘目の味付けではありますが、どちらかと言うと「よく噛んで、素材の味を楽しむ」と言った懐かしい味付けでした。

「甘いんだけど、薄味」って感じが昭和世代の筆者にはピッタリの相性でした。

海軍さんのカレー 825円(税込)

肉じゃがは副菜として頂き、主食として海軍さんのカレーを頂きました。

海軍さんのカレーも当時のレシピがそのまま復元されてるそうで、肉じゃがと同様、素朴で優しい味付けのカレーでした。

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