出石は出石藩として江戸時代5万8千石(後に江戸時代三大お家騒動の一つが勃発し3万石に減封)として但馬唯一の城下町として栄えていました。
出石城は平山城で本丸はあるものの天守閣は建てられなかった城です。
出石城は有子山の麓にあり、もともと有子山山頂には有子山城がありました。
しかし、関ケ原の合戦や一国一城令などの要素が絡み、有子山城の本丸部分を廃止して、山麓の郭および館のみを残して、出石城と命名すると江戸幕府に願い出て居城となったそそうです。
出石城跡
神社に行く雰囲気で「いざ、出石城へ!!」(この後かなりハードな道のりとなることを、この時はまだ知るよしも有りませんでした(笑))
外国人観光客が喜ぶであろう鳥居のトンネルの階段を上って行きます。
城の最上段が本丸。
鳥居の階段を上がる方向で右手が本丸になります。
写真右手の本丸の櫓は復興され、当時の面影を感じることができます。
写真奥左に見えるの感応殿と呼ばれる社殿です。
出石城は関ケ原の戦以降なので、戦は無かったと思いますが、もし戦があったら、この穴から鉄砲を撃つことになっていたんでしょうね。
本丸跡の中にある感応殿(かんのうでん)。
出石藩主仙石氏の祖権兵衛秀久公を祀っており、石川五右衛門を捉えた豪傑として広くしられています。
出石城の最上段は本丸ですが、さらに上に上がることができます。
有子山稲荷神社
鳥居のトンネルの最終地点。
平城では堀の内側に護国神社がある城を見たことがありますが、平山城とは言え、城の最上段である本丸より一段高い位置に神社があるのは、珍しいのではないでしょうか?
1604年の出石城築城時から現在地に鎮座する城の鎮守しています。
本殿からみた写真。
左側が本丸方面(下側)、右側が有子山城跡方面(上側)
有子山城跡
有子山稲荷神社から有子山城跡へは少し気合を入れて行かなければなりません(笑)
なぜなら・・・この注意書き
熊の出没に注意
「まっ、冬眠しているからいいか」って感じで行ったけど、後から「暖冬で冬眠していないかも。」と友人から連絡がありました。
普段はお世話にならないお助け杖。
一応剣道と居合の有段者なので、熊と出会った時の為に、杖を借りました(笑)
遊歩道と言う名の獣道(笑)
40~50mぐらいからは、ステップに竹を使った土壌を階段にした区間になりますが、急勾配なので左右に垂らしてあるロープを使った方がいいでしょう。
特に落ち葉がたくさんある土壌が雨で湿っている為、滑りやすく、下り坂の時は細心の注意が必要です。
ちなみに自分は2回転びました。
中間地点
やっと遊歩道と言う名がピッタリの区間に到達。
景色もなかなかのもんですね。
ラスト200m。
またしても急勾配を上がります。
上るだけでも大変なのに、よくこんなに石を運び積み上げたと感心するばかりです。
山頂である有子山城跡に到着。
出石の町並みを一望。
頑張って上った甲斐がありました。
戦国時代はここに天守閣があって、また一味違った景色が見れたのでしょうね。
ただ空模様が嫌な感じです。
反対側の空はまだ青いのですが、町の上は曇りがち。
天気予報も午前は晴れで午後は雨でしたので、大急ぎで下山しました。
ハードではありますが、見ごたえのある景色を一望できる有子山城。
出石城に行った際、気合を入れて上るのも良いと思います。
往復一時間程でした。
ただ険しい道のりですので、天候と靴などの服装に注意して、飲み物持参していきましょう。
おわり
出石城
兵庫県豊岡市出石町町分189
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