若いゲストさんと夢について語った時の話。

 

 

若いゲストさんとゆんたくで盛り上がっていると「夢」についてよく盛り上がります。

大なり小なり、皆何かしらの夢を持ってますからね。

 

それなりに年を取っている私も、まだまだ諦めずに夢は持っていると言うと、若者から「凄いですね。」って何故か褒められます(笑)

 

だってさ~夢を持つとか諦めないとって年齢じゃないですもんね。

 

っ、いつもこの時には、大好きな歴史上の人物の一人の話をします。

その人物は伊能忠敬です。

 

伊能忠敬に学ぶ 夢はあきらめず、素直に学び、健康身体。

伊能忠敬と言えば、正確な日本地図を作成した人物で知られてますよね。

 

欧米列強諸国から日本を守った一人

伊能忠敬の日本地図は国防に大きな影響というか、日本を守ったと言っても良いぐらいの代物でした。

1853年 黒船・ペリーの来航で危機的な状況にあった江戸幕府。
当時、欧米の列強諸国が競って植民地を増やしていた状況の中、その波が日本にもきました。

ちなみに小学校の時に早や覚えで、「一夜(18)でゴミ(53)ゴミ溜まるペリー来航」と覚えました(笑)

かなりヤバイ状況のなか、ペリーは伊能忠敬の日本地図があまりにも正確かつ、日本人の文化水準の高さに驚いたそうです。

そしてペリーは日本が恐るべき技術を持つ国と言う考えに至りました。

その後不平等条約などを結ぶことにはなりましたが、列強国からの植民地支配から逃れたのは周知の事実です。

伊能忠敬の地図はそれぐらい素晴らしいものでした。

 

経営者として優秀

幼いころから優秀だった伊野忠孝は、17歳の時、佐原(さわら)の酒造家伊能家の主に見初められて婿養子となりました。

その時本業の酒造業以外にも、薪問屋を江戸に設けたり、米穀取り引きの仲買なども行うなど、事業を拡大させ、経済的に危機的な状況を約10年間で立て直しました。

 

防災意識が高く情に厚い

伊能忠敬は多少の利益が出るとそれで米を買って備蓄していました。

1783年(38歳)の天明の大飢饉では、その備蓄米や金銭を分け与えるなど地域の窮民の救済に尽力をつくされたそうです。

そして50歳の時、息子に家督をゆずり隠居します。

伊能家の血筋で代替わりしたことにで、先代への恩返しが果たせたと言う事で、自分の夢に向かって行きます。

この時、伊能忠敬50歳。

 

若者から学ぶ素直さ

伊能忠敬は幼い時から勉強が優秀で、養子になってからもを独学でかなり勉強してたそうです。

そして幼い頃から興味のあった測量や天文学に学ぶ為に天文学者・高橋至時(たかはしよしとき)に弟子入り。

伊能忠敬50歳に対して師匠の高橋至時(たかはしよしとき)は31歳と年の差19歳。

今よりも上下関係がはるかに厳しい思われる江戸時代に、親子ほど年の離れた人に弟子入りするって、凄くないですか?

平成の世の中でも、19も離れた人に素直に学ぶのに多少なりとも抵抗があると思いますが、江戸時代に軽くそれをやってのける伊能忠敬の器というか・・・なんでしょうねぇ・・・恐れ入りましたって感じです。

私にはこの素直さがまだまだ足りないようです。

 

夢に向かって実践そして健康な身体

55歳になった伊能忠敬は、学んだ事を実践するために測量を開始します。

1800年の蝦夷から始まり17年間で計9回の測量の旅を行います。

その歩行距離は4万Km。

地球1周ですよ、1周。

測量技術がが凄いはもちろん、医学がいまより全然劣る江戸時代で、しかも還暦こえても歩き続けることができていたなんて驚くべき健康体ですよね。

今の時代に55歳から徒歩だけで地球1周を旅する人なんて、なかなかいないですよね?

マジでヤバいですよね。

なので、私はいくら年をとっても健康である限り、夢にむかって行けるんじゃないかと思っています。

 

ちょっと話がとびますが、私の好きなボクシンングマンガの一つに「はじめの一歩」があります。

そこで会長が世界初挑戦する愛弟子のボクサーに声を掛けた一言。

努力した者が全て報われるとは限らん。 しかし! 成功した者は皆 すべからく努力しておる。

 

それを引用して

夢を達成した者が全て報われるとは限らん。 しかし! 夢を達成した者は皆 すべからく努力しておる。

だから伊能忠敬のように年をとってからも夢を持って頑張ろうと思っている。

ちょっとクドかったかもしれないけど、こんな感じで 「夢は若者の専売特許じゃないよ。年とってからでも問題ないよ。:って感じで夢の話をしています。

おわり

 

 

 

 

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